900年根拠の千葉市ホームページが消えた

千葉市の開府」の3.「千葉開府900年」の900年の千葉市の根拠にあるように「千葉開府900年」の900年とした根拠のホームページが削除されてます。これに関連して編集者と千葉市間でメールのやり取りをしています。
削除された原因がこれかの判断は当ページを訪問されてる方にお任せします。

2018年12月の「ちば市政だより」で市民講座 講座があるの参加の募集をしてました 。

[千葉大学共同開催公開市民講座「千葉氏とアイデンティティ」 2019.2.9

そこで900年根拠のホームページをみて参加申し込みと編集者のお願いをメールしました。

編集者
編集者

2018.12.28のメール送信

申し込み手続き 省略

本文

誠に恐縮ですが、下記点を講座で触れて頂けないでしょうか。又は講座の前や後でも講師の方と短時間でもお話できれば幸いです。

千葉市が「千葉開府890年」の広報を始めた頃から、900年も前の事を最後の1桁の年まで分かるのか不思議でした。千葉市のHPで出典は「千学集抜粋」で戦国時代の資料のようです。大治元年(1126年)の6月1日とあります。
戦国時代は幅がありますが、仮に前期の1500年頃として考えると400年も前の事を記録してる事になります。そうなると何らかの一次資料等がなければなりません。有ったとして多分今はないでしょう。
大治「元年」6月1日(1年の真ん中)は切りが良すぎます。創作と考えるのは考えすぎでしょうか。
「千学集抜粋」は今から500年前になりますので、原本は多分無く写本の可能性が高いです。
「千学集抜粋」をサイトで検索すると昔の千葉神社所有で、やはり写本の可能性も指摘してます。(Wikipedia)
せめて、全国にある千葉氏一族が所有していた資料であったらと思います。

次に、大椎から移った事を持って「千葉開府」でよいのか分かりません。同じ領内(支配地)からの引っ越しでしょう。例えば千葉市役所の引っ越しと同じ位と思います。千葉氏への「改名」と結び付けるのは無理があるのではないかと思います。

石橋山古戦場、本佐倉城址はもとより、桶狭間、関ヶ原等々まで行く歴史オタク(?)としては気になってしょうがありません。

重ねて宜しくお願いします。

注 千葉神社所有 は多分誤りでした。

編集者
編集者

2019.1.28 返信がないので再送信

千葉市
千葉市

2019.1.29返信

この度は公開市民講座にお申込みいただきありがとうございました。たいへん申し訳ありませんが、厳正なる抽選の結果、落選となりましたので、お知らせします。

以下略

このとき編集者が考えたのは次です。
・定員300名なのでこの手の講座が満員になる分けないだろう。
・当日キャンセル待ちで来たと押しかけよう。
・又は後日情報公開で応募者数を聞きだそう。

(かなり「シツコイ」と自覚はしてます)
千葉市
千葉市
2019.2.1再返信 

この度は「千葉市・千葉大学公開市民講座」にお申込みをいただきありがとうございました。受講が決定しましたので、お知らせします。先日は落選のご連絡をいたしましたが、お席に空きができましたので繰り上げ当選となりました。

以下略

2019.2.5に該当HPが削除されてるのを確認しました。
当日(2019.2.9)に行ったら空席はかなりありました。但し、当日は雪模様で来なかった人もあり得ます。

講演後、質疑応答の時間があったので真っ先に質問しまた。
ホームページが削除されてることや、メールのやり取りの一端を話しら、会場から笑いがあがりました。

講師の資料や、質問に対する回答で目的は達しました。

千葉市にかなり嫌わてるようです。いい仕事?をしてると思っています。