「千葉開府900年」で何をするの 2019.3

900年の2026年に何をする計画か調べてみました。
その前に「千葉開府850年」(1976年)に行った行事は以下のようです。

久保優氏の資料より(市民講座2019年2月9日)

全体的に批判的です。細かいことを言えば1455年に滅んだ訳ではないようです。

関東の戦国時代の幕開けとなった享徳の乱(1454)に先立つ宝徳年間(1449~52)千葉氏は内訌を起こし宗家(千葉介家)が一旦滅亡。一族の馬加胤持の庶兄岩橋輔胤が千葉介を継承する(後期千葉氏)

本佐倉城はこの輔胤が文明年間、遅くても文明16年(1484)までに築いた城である。

歴史群像2004年6月 「下総本佐倉城」12頁 樋口降晴

しかし、どうも1455年が多数のようです。本佐倉城址 千葉氏関連の城址 2019.9  22019.9追記

本佐倉は秀吉の小田原攻め時に別働隊によって1590.5.18 1日で落城。(戦わず降伏したらしい)千葉氏(下総)はこの時点で滅亡したことになります。(北条氏直の降伏1590.7.5で北条氏は滅亡)

いずれにしろ1450年頃に現千葉市は都市として一旦終了です。再び都市となるのは「千葉町になった1889(明治22年)」とすれば約450年の間空白です。この間、千葉氏の都市としての継承はありません。新聞記事の嘆きは当然です。

それでは、これを乗り越えて900年(2026年)に何をするのでしょうか。

900年に向けたロードマップ(案)パブリックコメント手続実施シート
千葉開府900年に向けた ロードマップ(案) ~「千葉氏」PR計画~

から抜粋

6ページより

2016~2026の間に色々やって行こうとすることのようです。「節目の年」にあるのは直接千葉氏と関係するのは「千葉常胤生誕900年」だけです。「東京オリンピック・パラリンピック」(幕張メッセで一部を実施)は「デター」と言った感じしかしない。壮大な計画でまさしく「大河ドラマ:千葉開府900年」です。

これを全部よんでも総花的でよく分からない。

千葉開府900年に向けたロードマップ(案) ~「千葉氏」PR計画~ 概要版

の2頁にまとめた文書があるので興味ある方は読んでください。
リンク切れの時はダウンロードしたこちらから。

学校教育にも力を入れて行くようです。千葉氏と言え武将であることに変わりはありません。武将は所詮ヤクザの親分です。光もあれば陰もあります。(ヤクザは武士をモデルにしたとの説もあります。武士の後継者?)子供の時刷り込まれた知識の訂正は難しので程々にして下さい。

結局900年の2026年に何をやるかはまだ見えてきません。

多分外注でしょうが、こうした文書を作るのは長けてます。森羅万象なんでも来いですね。